学生時代のことです。大学祭で茶道部がお茶会を催していました。ほとんど興味はなかったのですが、友人の誘いを断れずお茶をいただくことになりました。
ところが、いざお茶席に入ってみると、かなり(?)正式なものでした。しかも、“お茶碗の正面をはずして飲む”程度の知識しかなかったのに、最後に駆け込んだもので「正客(しょうきゃく)」という主賓席に座らされてしまったのです。お客にも最低限の作法が求められるお茶席で、正客の果たす役割は重要のようでした。お茶をたしなまれる方なら想像できると思いますが、作法を知らない私のすることを見てクスクスと嘲笑する声が聞こえてきます。逃げ出すわけにもいかず、結果私はその場にいた20名ほどの前で大恥をさらしました。
10年後、お茶を習い始めました。正座に耐えきれず「ちょっとタイム!」と言うような生徒でしたが、先生は優しく見守りながら指導してくださいました。残念ながら半年後に十日町へ転任となり、お茶のお稽古は終了。ようやくおもしろくなってきたところでした。
そして2年ほど前から、今度は中国茶を楽しむようになりました。中国茶にも一通り作法はあるようですが、どちらかというといかに薫り高くおいしいお茶をいれるかを自分なりに工夫することに重点が置かれているようです。また、使えば使うほどツヤが出てくる急須(茶壺)等の道具を育てていくという楽しみもあります。
茶の湯の心は、一期一会のお客様を、心を尽くしてもてなすことだと千利休が言っています。お作法はそのためにあるのであって、お作法が先にあるのではありません。
子育てもしかりですね。日々成長する子どもと過ごす今日一日は、その日しかありません。その日その時に、心を込めて接することができれば、子どもはそれをしっかりを受け止めていくことでしょう。そして、茶道具だってそうなのですから、手をかけて育てられた子どもは、きっと光り輝いていくに違いありません。