2005年12月号

 毎日贅沢に遊び暮らしていた金持ちの家の門の前に、ラザロという物乞いが座っていました。体中にできものができ、それを舐めに来る犬を追い払う元気もありませんでした。やがてラザロは天に召され、神の使いたちと共に食卓につくことが許されました。

 しばらくして金持ちも死にましたが、彼は地獄に送られ大いに苦しみました。見上げるとラザロが天にいるではありませんか。金持ちが訴えました「炎の暑さでとても苦しい。ラザロの指先を濡らして私の舌を冷ましてくれ」天使は答えました。「生きている時お前はラザロに見向きもしなかった。」

 金持ちは「ならばせめて、生きている私の家族に悔い改めるよう伝えてくれ」天使は答えました「これまでに何人もの預言者が伝えてきたのに聞いてこなかった者たちに何を言っても無駄だ」・・・・・

 これはイエス様が語ったたとえ話の一つです。イエス様は、自己中心的な考え方やわがままな生き方を戒められました。なぜなら、隣人と関わり合わなければ生きていけない私たち人間に、共に生きることの豊かさと大切さを教えるためでした。

 動物は本来わがままなものですが、人間はその優れた社会性によって、自己中心的な思いから一歩踏みだし、隣人を愛する生き方ができる動物になりました。むろん、全ての人がそうではありませんし、特に子どものうちはわがままな思いと他者を思いやる心が交互に強くなるなどしながら、次第に成熟した大人へと成長していきます。

 その成長を見守る私たち大人の責任は重大です。わがままを主張するのも成長の一段階ですが、それを放っておけば次のステップには進めません。ですからしっかり見守りながら、必要に応じて受け入れたり戒めたりしなければなりません。

 実は、私たち大人も、受け入れてもらいたいと思う時があり、また戒められねばならない時があるものです。神さまはそんな私たちのことをよくご存知で、だから私たちを受け止め、そしてさとしてくださるイエス様を世にお送りくださったのです。ですから、心からの感謝を込めて、クリスマスをお祝いしたいと思います。