2004年12月号

 救い主がお生まれになった時、その誕生を待ちわびていたたくさんの人々はそれに気づきませんでした。広報もされなかったし、お使いも来なかったので無理もありません。ただ、例外として野原で夜通し羊の番をしていた羊飼いたちにだけは、天使たちがその喜びの出来事を知らせたので、羊飼いたちは喜びにあふれて、生まれたばかりの救い主の顔を拝みに行ったのでした。

 「知らされなかったんだから、仕方ないよ」という声があがっても不思議ではありません。むしろ、知らされなかったことへの不満の声さえあがるでしょう。

 でもね。もし、知らされてたら、みんな駆けつけたでしょうか?駆けつけたとして、そこにいる赤ちゃんを救い主として受け入れ、拝んだでしょうか?生まれた場所は宿屋の馬小屋、寝かされていたのは馬のエサを入れる飼い葉桶。両親はごくごく普通のお父さんお母さん。「ふざけるな。救い主なんだから、もっとそれらしく誕生するはずだ。この子どもが救い主であるわけない」そんな声が出てくるに違いありません。

 それは、私たちが自分の思い、イメージ、願望、そういったものにとらわれがちで、神さまの声をなかなか素直に聞き入れられないからです。それに対し、羊飼いたちは社会の底辺で生きていたと言われます。今風に言うなら3Kの仕事(きつい、汚い、危険)で、周りからも差別され、まともに相手にしてもらえませんでした。それでも一生懸命生きていた彼らは、神さまの声を素直に聞く心を持っていたのです。

 そんな羊飼いたちのところに、救い主の誕生が知らされたのです。つまり救い主は、弱っている人、疲れている人、社会から疎外されている人、希望を失っている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人・・・、そんな、救いを必要としている人々のところに来て、寄り添い、励まし、支え、いやし、手を差し伸べてくださるのです。

 震災から早40日がたとうとしています。子どもたちは、心に受けたその傷を一生懸命克服しようとしているようです。そんな時に迎えるクリスマスです。どんな時でもイエス様がそばにいて、一緒に歩み、支えていてくださるということ、そして闇の中にこそ光は照り輝くことを伝え、お祝いしたいと思います。