2004年7月号

 「わたしは知った。人間にとってもっとも幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。」今月の主題聖句と同じコヘレトの言葉(旧約聖書)の一節です。確かに、喜び楽しんで一生を送ることができたら、どんなに素晴らしいでしょう!誰も、辛い目には遭いたくないし、悲しい思いはしたくありません。喜び楽しんでいたいのです。

 では、喜び楽しむというのは、どういうことなのでしょう?何が喜びで、どういう時楽しいと感じるのでしょう?

 これは人それぞれです。でも、捉え方としては共通できる仕方があります。それは、極論ではありますが、どんなことでも、どんな時でも、喜び、楽しもうとする姿勢を持つということです。

 タレントの関根つとむさんは、どんな状況でも楽しもうとする人なのだそうです。例えば、混んでいるレストランで料理がなかなか出てこず、連れの人たちがイライラしている中、「この状況を楽しもう!」と言って、「オードブルが出てくるまで○○分だ!」「スープまで○○分かかった!」と、笑いのネタにしてしまうというのです。

 私たちも心に余裕を持てば、イライラしていたような状況を、かなりの部分で楽しみに変えることができるかもしれません。 今から数年前、17歳の少年少女が次々に大事件を起こしたのを憶えていますか。バスジャック事件や母親殺しやタクシー強盗殺人等。犯行当時は14〜15歳でしたが、酒鬼薔薇聖斗君も同年代、1983年生まれなのだそうです。先日聞いてきた講演によると、この年は、ファミコンが世に出され、東京ディズニーランドがオープンした年で、この子らが幼児期を迎えた頃はバブル絶頂期、日本全体が異常な熱気の中で浮かれ、幼児への早期教育が流行したそうです。こうなると、子どもたちは習い事や塾に通わされ、本来の仕事である遊びができなくなり、自分が自分であることを見失ってしまいます。親もまた、周囲と比較されているという強迫観念から、子どもに無理を強い、結果、親も子もつぶれてしまうのです。

 子どもはいつでも自分が楽しもうとします。楽しいことが大好きです。悩みがないわけではありませんよ。そんなことより、楽しいことに目を向けようとしているのです。見習ってみませんか?