2004年6月号

 今月の聖句は、主イエス・キリストが、死にそうな少女を癒して欲しいと願われて少女の家に行った時のエピソードの一部です。

 大勢の人々が主イエスによる癒しの奇跡を見ようと集まっていましたが、その中に自らも癒されたいと願っていた病人の女性がいました。彼女は気後れしてか、自分も癒して欲しいとは申し出られず、ただ主イエスが通りすがる時に、そっと「後ろからイエスの服に触れた」のでした。その瞬間、女性は病気が癒されたのを感じました。

 ただ、感じたのは彼女だけではありませんでした。主イエスもまた、誰かが自分に触れたことを感じ、そこに立ち止まり、「触れたのは誰か」とたずねました。大勢の人々が押し合いへし合いしている中での出来事です。弟子たちは「(こんな状態なのに)誰がわたしに触れたのか、とおっしゃるのですか。」と呆れてしまいます。

 でも、主イエスは触れられたことを感じたのです。そして、女性が名乗り出ました。すると、主イエスは「あなたの信仰があなたを救った。」とおっしゃり、この女性の病は完全に癒されたのでした。

 “触れる”ということから生まれる関係性、コミュニケーションの大切さを教えられます。触れることにより、私たちは確かに言葉には表せない、力やエネルギーや思いやその他諸々のものを互いに通わせることができるのです。子どもが親とのスキンシップを必要とするのは、まさに“触れる”ことでのコミュニケーションを必要とし、関係性を築くためなのです。

 これが欠けると、子どもは情感を損なうと言われています。つまり、嬉しい、悲しい、そういった思いを共有することができない、言い換えると隣人に共感するということができなくなるのです。結果、自己中心的にしか物事を捉えられない子ども(大人)に成長してしまいます。凶悪犯罪の低年齢化や、後先を考えない行動をとる子どもが増えているのも、触れ合いという大切なコミュニケーションの不足が一因としてあげられるように思います。

 主イエスは、触れ合いたいと願った女性を受け入れました。女性は受け止めてもらいました。私たちも同じように、求めてくる子どもたちと、精一杯触れ合っていきたいと思います。