春ですね。ピンクの芝桜が太陽の光を受けていっぱいに広がっている様を見ると、心も温かく、気持ちも柔らかくなります。「自分の命の事で何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」(マタイによる福音書6章25節)イエス様の御言葉ですが、悩みから解放されるような気分にもなれる季節です。
ただ、「五月病」などと言って、新入生や新社会人にとっては、現実に直面して悩みが深まる時期でもあります。新しい生活が想像と違っていたとか、期待を裏切られたとか、なかなか馴染めないとか。人生、思い通りにはいかないものです。
そんな時は、やはり上記の聖句を思い起こします。要するに、余計なことに必要以上に気を使うがあまり、大切なことを見失ったりする姿勢を戒めている言葉です。
着飾ることは楽しいことです。レストランのメニューを眺めるのもそう。えっ?晩ご飯のおかずを考えるのは辛い?そういうこともあるかもしれませんね。でも、何を食べようかと考えるのは基本的に楽しいことです。ところが、毎日おかずを考えるのが苦痛になることがあるように、深く考えるがあまり自分を追い込んでいってしまうと、これは悩みという苦しみに変化します。
そんな時イエス様はおっしゃいます、「空の鳥を見ろ」田畑を耕すわけでもないのに、ちゃんと生きているじゃないか!「野の花を見ろ」どんなに着飾った王様だって、野の花にはおよびもしない、と。そして、鳥や草花でさえこのように必要を満たし、また装ってくださるのだから、ましてあなたがた人間にはどれほど深い愛と豊かな恵みを与えているかを悟りなさい、というのです。
着る服や食べ物もさることながら、子育てもまた悩むことの連続です。でも、確かなことが一つあります。それは、神さまが必要を満たし、私たちを生かしてくださるということです。情報が氾濫する世に生きている私たちは、つい情報や他者と比べながら、自分の子育てや子どもの成長に一喜一憂します。でも、大切なのは自分の子どもをしっかり見つめること。一生懸命生きている子どもたちの息づかいを感じられた時、私たちは神さまが生かしてくださる命の尊さと恵み豊かさを感じて、悩むのではなく、感謝できるようになるでしょう。