2004年2月号

 去年のクリスマス、妻から讃美歌を贈られました。表紙の裏に「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」とメッセージが記されていました。両親に初めて聖書をもらった時に書いてあったのもこの聖句でした。この聖句の意味するところは、隣人と喜びも悲しみも分かち合う、つまり互いに愛し合いなさいということです。

 さて、喜びを分かち合うのと、悲しみを分かち合うのと、どちらが難しいと思いますか?実は、喜びを分かち合う方が難しいというのです。

 例えばこんな話を聞きました。「兄弟が大きな家を新築したけど、心からお祝いする気になれなかった。」これは、私たちの心の中にねたみ(嫉妬)の気持ちがあるからでしょう。また、受験生を抱える親が、先に一流大学に推薦入学が決まったよその子を心からお祝いできない、なんてのもあるようです。自分の子と比較してしまい、焦りや苛立ちが先に立ってしまうのでしょう。

 こういった感情はどこから来るのかを考えてみたのですが、やはり根底にあるのは「自己愛」なのかな、と思いました。自分を一番愛するゆえに、自分と比較して自分より上にある者に嫉妬したり、そういう状態を認めたくなかったりするのです。

 これが子育てに影響を与えると大変です。「自分のための子育て」に陥れば、自分の子への要求がエスカレートしたり、過保護になったり、虐待したり・・・。先に挙げた例とは質が異なりますが、自分の子どもの成長を「この段階ではこれくらいできて当たり前」という風に、素直に喜べない親もいると聞いたことがあります。気の毒という他ありません。

 私たちの人生にはすでに子どもが関わっているように、私たちの子どもの人生には、その親である私たちがすでに関わっています。つまり私の人生はあなたの人生、あなたの人生は私の人生、なのです。せめてそこにおいては、喜びも悲しみも心から分かち合える関係でありたいものです。そのためにも、親としての自覚をしっかり見直さなければと、身も凍るような恐ろしい虐待事件の報道を見ていて思いました。