2003年11月号

 先日湯沢で開かれた全国レベルの研修に参加した時のことです。兵庫から来た参加者が「○○先生は、なんでこんな遠くでやるんだ、と言って来ませんでした。」と挨拶されるのを聞いて、非常にがっかりしました。○○先生とやらが、都会を、そして自分を中心にしてしか物事を考えていない発言をしたからです。

 その研修では、子どもの人権について学びました。小さな子どもにも人権があるということは今更言うまでもありませんが、その人権というものは生まれながらにして持っているのではなく、人との交わりや関わり合いの中でこそ作られていくのだということを教えられました。

 子どもの人権って、何でしょう。子どもが自分のしたいようにすること?わがままを通せること?違います。生き生きと命を輝かせるために必要な力を認め、それを尊重されること、と私は理解しました。例えば、乳飲み子が持っているのは、弱さ、未発達、未成熟、といった特質です。これを認めて受け入れてもらえなければ、この乳飲み子は命を輝かせることができません。しかも、そういった弱さを単に保護の対象としてみるのではなく、共に生きていく相手が持っている特質として認識すること、それが、子どもに人権を認めるということなのです。

 もちろん、保護は必要です。しかし、保護という形で一方的に「与える」というのではなく、弱さという人権を無視せず、その弱さと共に生きるための知恵を働かせて、持てる力を共有するという姿勢があってこそ、人権は作られ、育まれるというのです。

 障害者、高齢者、病人、女性、子ども、貧しい人、様々な差別に苦しむ人、etc。自分中心でしか物事を考えられないと、弱さという人権は無視され続けます。無視され続ければ、人権は認められません。人権は人との関わり合いの中で作られ、育まれるといわれるゆえんです。

 強者にも弱者にもなりうる私たちです。自分中心にだけではなく、弱さを担い合う姿勢をもって隣人に接し、子どもと向き合うことの大切さを改めて認識しました。