2003年10月号

 十日町高校のイチョウの葉も色づき始めました。辺りはすっかり秋の気配です。

 門のまわりを彩っていたプランターや植木鉢も、そろそろその役割を終えようとしています。その中に、いく鉢かの朝顔があります。よく見ていただくと判りますが、鉢の種類や大きさがバラバラで、中にはごみ箱に入っているものもあります。実はこれ、最初はみな揃いの鉢に植えられていたのです。

 ある雨の日曜日でした。教会で行われる礼拝にやってきた方が、スロープの横に置いてあった鉢に傘をひっかけ、落として割ってしまいました。“ここに置いておくのは危ないな”と気づいてはいたのですが、ついそのままにしていました。だから、鉢が割れたと聞いた時も、“ああやっぱり”と思っただけでした。

 でも、それで済まなかったのは鉢を割った方です。「先生が丹誠込めて育てた朝顔を割ってしまって、切なくて切なくて・・・」と、何度も何度も謝られました。この時、私は自分の犯した大きな過ちに気づかされました。“危ないな”と思っていながら放っておいたために、人を(その心を)傷つけてしまったのです。

 バタバタと忙しい朝のこと、鉢を安全なところに下ろす手間を惜しみ、“みんな気をつけるだろう”とか、“別に一つくらい割れても大したことはない”そんな気持ちで危険を予見していた自分を納得させていたのでしょう。その結果が、これです。

 ただ、もし鉢を落とした人に「こんなところに鉢を置いたら危ないじゃない!」と言われたら、「鉢があるのは見えてるんだから、気をつけるのが当然だ!」と開き直っていたかもしれません。ですから、鉢を割ってしまった方の謙遜な態度に、本当に多くのことを教えられたと感謝するのでした。

 ちょっとの手間を惜しむ・・・忙しかったり疲れていたりすると、ついそうした姿勢や態度を正当化してしまいがちです。でも、その代償は意外なところで払わされることになるかもしれません。子育てや仕事にがんばっている自分を気持ちよく褒めてあげるためにも、ちょっとの手間をかける喜びを再確認したいと思いました。