2003年7月号

 「最近、子どもを叱れない親が多い。」市内私立保育園の園長会で話題になった事のひとつです。「子どもに振り回されている」「子どもが何をしても叱らない。」「叱ることが悪いことだと思っている。」関連したいろんな見解が表されました。

 “子どもを叱る”ことの是非については、様々な意見・立場があります。子どもを全く叱らないのを「ウェンディーのママ」と言います。ピーターパンに登場する少女ウェンディーのママは、子どもがどんなひどいいたずらをしても叱らないからです。逆に、感情が高ぶるに任せ、我が子に殴る蹴るの暴行を加えるのは躾ではなく虐待です。

 理想的なのは、叱らないか、ほどほどに、ということのように思えます。特に、のびのびと育てよう、という子育て論を掲げれば、叱るのは害悪とさえ思われるでしょう。でも、私は全く叱らないことには批判的な立場をとります。同時に、どれくらい叱るのが適当か、ということでもないように思います。大切なのは「親として我が子をしっかり見る」ということです。

 例えば、当園では“命に危険がおよぶ行為”と“友だちに、身体的あるいは精神的危害を加える行為や言動”については、厳しく叱るようにしています。これは、必要な躾であるとともに、社会生活を営む上での自己責任を明確にするためです。

 関西の保育園で、障害児をいじめていた子を他の子が注意したら、いじめていた子が注意した子をはり倒して頭を踏みつけ、それを見た保育士が厳しく叱ったところ、叱られた子の親がその保育士を訴えたという事例が報告されました。呆れてものが言えないとはこのことです。

 我が子を見るとは、我が子の全てを見るのでなければなりません。上記の例で言えば、障害児をいじめていたのも、それを注意されて逆上したのも我が子なのです。叱られて当然、いや叱られなければならなかったのです。その部分を見つめなければなりません。

 感情のままに怒れば虐待につながります。でも、叱るべき時に毅然とした態度を示すのは、親(大人)のつとめです。