2003年6月号
「最近感動することが少ないな〜。年齢のせいかしら」という声を聞いてドキッとしました。心当たり、ありませんか?
連休明けの頃、プランターで楽しんでいた芝桜を園庭脇の空き地に移植していた時のことです。3歳児の女の子が大きな声で「園長マン!お花踏まない!バカ!」と言うのでビックリしました。「踏んでないよ〜」と答えると、「タンポポ、踏まない!バカ!」
よく見ると、足下にはあちこちにタンポポの芽が出ていました。さすがに花が咲いていれば踏みつけたりはしないでしょうが、その小さな芽は隣で伸び始めた雑草とかわらない・・・という自分の感覚と、園児の感覚のズレに気づかされてドキッとしました。玄関の軒下にツバメが帰ってきました。昨年作った巣を上手に補修して、今年も子育てが始まりました。そして数日前、卵が孵って雛が誕生、皆でそれを喜んでいた矢先の出来事です。巣が欠けているので、「おやおや、今回の巣はずいぶんともろいな」と思っていたら、なんとそれはカラスの仕業だと教えられました。雛が孵ったばかりの巣をカラスが襲い、雛を数羽食べてしまったというのです。下には巣から落ちた雛もいたようです。欠けた巣にはたった一羽ですが難を逃れた雛が残されていました。
その状況を知って多少なりとも驚きはしましたが、「これも自然の摂理やな」と言うと「でも悔しいじゃないですか!」と訴えられてしまいました。ドキッとしました。
いろんなことを学び、いろんなことを経験し、私たちは知恵や知識を蓄えていきます。その結果、はじめは驚いたり感動したりしたことも、次第にそのような感覚から遠ざかっていくものです。これは「成長」の証しです。
しかし、ともすると「そういうものだ」あるいは「きっとそういうものだろう」と推測したり結論づけたりすることで、必要以上に無感覚に陥ってしまうこともおおくあるに違いありません。
そうした無感覚、無関心、無感動の姿勢は、子育てを含む人生をつまらなくしてしまいます。園庭でダンゴ虫を捕まえては部屋に持ち帰る子どもたちを見ながら、「感覚という名のアンテナを磨き直す必要があるかも」と感じている園長マンです。