2001年7月号
すみれ組、ゆり組では、オタマジャクシやカニ、カブトムシの幼虫、それにカタツムリなどを飼育しています。子どもたちは時々気がついたように水槽の中をのぞき込み、それらの生き物をジッと観察しています。「オタマジャクシに足がはえた!」「テントウムシが卵を産んだ!」子どもたちの純粋な驚きと感動の声が部屋に響きます。
園庭では、キュウリやプチトマトをプランターで栽培しています。つい先日も、知らぬ間に巨大化したキュウリを収穫し、給食時にいただきました。
動物にしろ植物にしろ、身の回りのこうした小さな命とふれあうことの大切さを改めて思います。図鑑や絵本、テレビやビデオといった教材のようなものでは感じることのできない、命と命の生(なま)のふれあいを通して、私たち人間も自然の一部分であり、自分以外の多くの命と関わり合って生かされていることを知るのです。
聖書(旧約聖書)の一番はじめに天地創造の物語が記されています。そこには、神がまず光を造り、天地を造り、海を造り、陸を造り、そしてそこで生きるあらゆる動植物を造られたと記されています。その創造の業の最後に人間が造られたと聖書は記しています。神は人間に向かってこう言いました「全てのものを支配させよう。」
これはいわば“神話”ですが、人間(特にキリスト教世界・西欧諸国)はこの神の言葉を根拠にして自然からの搾取を含めた自然破壊を正当化してきたと言われます。すなわち、万物の霊長である人間のために全てのものがあるのだと。
私たち人間には、豊かな心と知恵があります。この心と知恵が、単に自らを愛するためだけに用いることを神は望んでおられません。他の全ての命が、神の恵みを等しく受けていることを知り、調和と共存のために用いられなければならないのです。
難しいことでないのです。子どもたちは飼育している動物、園庭の虫、プランターの野菜などを観察し、実際に触り、肌で命の鼓動を感じ取って、命の豊かさ、尊さをおぼえていくのです。