2001年6月号

 学生時代の友人に言わせると、私は遊びの天才なのだそうです。いつ、どこででも何かしら遊びを見つけて皆で楽しもうとするからなのだそうです。確かに、友人の言う通りかもしれません。好奇心旺盛、趣味も多く、少なくとも「自分の時間」をつぶすのに苦労したことはありません。

 そんな私ですから、以前ある中高生たちがしょっちゅう「先生、遊んで。何かしよう。」と言ってくるのには少々驚きました。私といると楽しいというよりも、自分たちだけでは遊びを創造できなかったからです。

 遊びを見つける、遊びを創造する、それは私たちが本来持っている力、可能性の一つです。そしてそれは、私たちが生きていくために必要な様々な能力を身につけるための源泉であると私は思っています。なぜなら、遊びを見つける、遊びを創造するということの根底には「あれをしてみよう」「これは何かな?」そうした好奇心と想像力があるわけで、それがまた遊びだけでなく様々なものを発見し創造していく源となるからです。その好奇心と想像力を生かし用いる場面、瞬間、それが子どもたちにとっては“遊びの場”なのです。

 幼児園には様々な遊具があります。室内には積み木やブロック、屋外では砂場遊びの道具など。これらは、それ自体では何の面白みもないものですが、子どもたちの想像力と創造力によっていろんな形を作り出したり、別の遊びのための道具に変身していきます。子どもたちと遊んでいると、その想像力によって道具が本来の使い方を超えて使われることに感心することもしばしばです。逆に、基本的な使い方がわからないでたずねてくるということもあります。でも、そういうときは一度一緒にその道具を使って遊ぶことで、あとは自分なりに使いこなしていくものです。これが子どもたちの持っている力であり、可能性なのですね。

 だから私たちは、子どもたちが何かをみつけたり、何か自分でしようとしていたら、その子の視線の先にだけでなく、瞳の奥に映っているものにも目を向けたいと思っているのです。