2002年6月号
木々の枝から、黄緑色の新しい芽が吹き出してきたなと思っていたら、つい先日まで丸裸だったイチョウの木がすっかり形を整えていました。保育室の水槽では、卵から孵ったたくさんのオタマジャクシが泳ぎ回っています。季節の移り変わりを五感でしっかり感じ取れる環境を大切にしていきたいと思っています。
先日、ばら組で給食を食べようとしていた時のことです。一人の園児がだだをこねて泣いていました。どうやらいつも遊んでくれる年長児のお兄さんお姉さんと一緒に給食を食べたいということのようです。手足をばたつかせたりしながら、「すみれ組に行く!」と、なんとしてでも我を通すつもりです。それを見て、私の中にちょっとだけ“怖い園長登場”の気持ちが持ち上がってきました。しかし、子どもを抱きかかえながら、一生懸命説得している保育士の姿を見て、今しばらく様子を見ることにしました。
泣き声はますます大きくなります。保育士はやさしく抱きかかえながらいろんな言葉掛けをします。それを見て、私はますますイライラしてきました。いつ“怖い園長”に変身するか、というところです。その気持ちを抑えるのは大変です。
15分、20分、保育士は根気強く説得し続けました。上のクラスの様子を見せて納得させようともしました。
そしてとうとう、園児はニッコリ笑いながら保育士と一緒に部屋に戻ってきて、給食の準備を始めたのです。根負けしたという様子でもなく、諦めたという感じでもなく、納得したという晴れやかな表情で席に着いたのです。その笑顔を見たとき、私は何とも言えない嬉しい幸せな気分になりました。同時に、叱ることで秩序を保とうとした愚かしさを猛省させられました。
叱ることは必要なことですが、大人が安易にその力を用いて子どもを従わせようとするとき、それは保育でも教育でもなくなってしまうのですね。育児は忍耐、その忍耐が私たち自身を育てる“育自”なんだと改めて教えられた気がしました。
この園児の心には、きっとこの日の出来事、保育士の愛を受けたことがしっかり刻み込まれたに違いありません。