2002年2月号

 滋賀県の琵琶湖畔に、止揚学園という重度精薄児施設があります。今から約40年前、重い知恵遅れの子どもの人権など無きに等しい時代に、福井達雨先生と彼に共感したわずかな仲間たちによってその施設は建てられました。

 そこに、明夫君という青年が入所していました。明夫君はある時、とても悲しそうな顔をして職員のもとにやってきて、「先生、僕アホか?」と尋ねました。どうやら近所の子どもたちに「お前はアホや。アホやから施設に入れられとるんや。」とからかわれたらしいのです。職員はその心ない言葉に憤りながら、明夫君にこう言いました。「明夫君、君は決してアホなんかやないで!人間や!」差別と闘い、明夫君に寄り添った職員の姿と「アホやない。人間や!」というこの一言に、自らを振り返らないではいられません。

 明夫君は、18歳時てんかんの発作が原因で意識不明となり、1ヶ月の闘病生活の末召天しました。この時も、彼は病院をたらい回しにされ、亡くなる直前も、付き添いの施設職員や福井先生の懇願にも関わらず、医師は「まだ大丈夫」と言って診てくれず、看護婦と談笑などしている間に彼は亡くなってしまったのだそうです。葬儀の時、“優しい子だった”“美しい人間だった”と弔辞を述べる列席者たちを、福井先生は「なぜ彼が生きてる間にそう言ってくれなかったのか!」と一喝したのでした。

 福井先生の御次男である生(いくる)さんは私の学生時代の1年先輩でした。彼は幼い時から、そうした重い知恵遅れの人たちの中で共に命を育んできたからでしょう、知恵遅れの人たちを特別な存在だとは思っていません。それだけじゃなく、理不尽なあらゆる差別に対してハッキリ「ノー!」と言える心を持っておられました。具体的な関わり合いや隣人との親しい交わり、そしてその広がりが、私たち人間にとって、特に幼子にとっていかに大切かということを、今あらためて思い起こしています。