ペリリュー島戦跡巡り その1

ホテルの朝食バイキングを美味しくいただくためにちょっと散歩

今日も快晴! 朝食もうまい!!

ペリリュー島へ戦跡巡りに行けることになりました。
3人以上いないとツアーが組めないため諦めかけたのですが、ロックアイランドツアーカンパニーの社長が他に二人見つけてくれました。

本当はアンガウル島にも行きたかったけど今は定期便はなく、数年前まで飛んでいたセスナ機も運航をやめてしまったらしく無理だということが判明したのでペリリュー島には何としても行きたかったので、ありがたかったです。(2006年4月での状況)
なぜアンガウル島に行きたかったかというとアンガウル州では3つある公用語の一つに日本語が入っているから。日本語が公用語になっている外国に行ってみたかった。道路標識も日本語表記があるのだろうか?それに日本時代のことを知っている年配の人の話も聞いてみたかった、という理由です。
途中で零戦が沈んだままになっているところを見ることができた。
このパイロットの命は助かったそうです。

靖国神社の施設内と鹿児島の特攻平和会館内以外で
実際に朽ち果てている零戦は初めて見ました。

途中でオバキューアイランドが見えました。
今日も空も海もきれい! 

遠くにセブンティーアイランド

こちらは、おじさんアイランド

ペリリュー島桟橋に到着

いきなり旧日本軍のトーチカが目の前に

いくつもありました

学校を横目に通り過ぎる

旧日本軍の通信指令室だったところ、一部まだ使われているそう

途中、立ち寄ったお店には遺骨収集に来た遺族の物が
飾られていました。

終戦後も2年半、戦い続けていた兵士たちの写真も飾ってありました
2年半、長い間、補給も全くなく生き続けるだけでもすごいことです。

硫黄島と同じような洞窟陣地の中に入らせて頂きました
硫黄島が万歳突撃を禁じて持久戦に持ち込んだのは有名ですが、それよりも早い時期にペリリュー島でも同じような戦い方がなされ米軍に多数の損害を与えたとのことです。

観光客が簡単に入れるところにもこのように祖国へ帰れぬ
遺骨がそのままになっていました。今は国の許可なく持ち帰る
ことができないそうで静かに手を合わせるしかありません。
私は空援隊の活動を応援します。


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