校舎に掛けられた懸垂幕

優勝の表彰状と盾

野球部に金銭ACTを行う

村尾会長と矢代校長

     

     ミラクル十高 !甲子園出場

               奇跡のドラマの連続 十高快進撃

「ミラクラル十高」永年親しまれてきたトンボの愛称に、今大会はミラクルの名が加わった。六試合のうち五試合を逆転勝ち、うち四試合が一点差。初戦の長岡向陵戦で先頭打者本塁打を喰らう一方、三回戦の五泉戦では九回二死、ツーストライクから逆転打。5-0とリードされた準決勝の新潟明訓戦では一挙に8点を奪う猛攻で試合をひっくり返した。ベンチと・スタンドが一体となった押せ押せ野球は相手チ一ムを圧倒した。「雪に閉ざされた白魔の地」(土田浩資元十高監督)とさえいわれ妻有大地。半世紀にして、遂に悲願を達成した十高野球部の県大会の奇跡のドラマを再現し、その熱戦を実感した。

そんな、十高球児に当クラブは、青少年育成ACTとして、甲子園での必勝を願い矢代校長先生に金銭ACTを行った。

 ゲートボールを通じ、健康の保持増進と相互の親睦を図りつつ、地域の親展に貢献することを目的とし、十日町市等9団体の後援を得て当市ゲートボール連盟の主管の下、発足した。出場の動機 カップの寄贈、賞品代等の資金協力は誠に有難いが、更に盛況を願ってチームを出して貰いたいと十日町市GB連盟会長より懇請され、時の会長L丸山勇とL庭野哲夫GB部長の決断で、当時のクラプ内では老人の球遊び程度の評価であった同大会に「優勝は控えておこうぜ」と確認して参加を決定。デビューー戦は、主催者の
適確な判断と後で判ったが、一番弱そうなチームとの組合せにも拘わらず、予選2試合で1勝もできず(老人ホーム妻有荘チームにも負けた)決勝リーグに進めなかった。公認審判員誕生 ルール上、参加者は審判員を3名出すことが決められていることからL庭野哲夫、・L太田久美、L田村多一郎の3名が、受講して資格を取得。公認審判員が誕生した。
 わがクラブの戦績 過去6回連続出場を果たし、今期は3チームも出場しているが、 2勝1敗が最高。決勝リーグ出場の予選戦での優勝をまだ果た
していない。
 試合の思い出として、ゲートボールのスティックを杖代わりにして歩いているかの様に腰の曲がった女性選手から、試合前の整列の折、「若いショ」「強い」「ハンテガもない」と煽てられ、試合中は「俺の玉を出さないでれ、負けると家へ帰ってから監督にゴーギ怒鳴りつけられるから」と懇願されると、友愛と寛容が働き、「ホイホイ」と快諾。ところが終ってみれば、アッサリ逆転されていた。試合は清く、正しくを痛感。
 GBは団体総力戦。異業種のそれも社長さんの集まりのせいにはしたくないのだが、職場チームの団結力には及ぶべくもない。メンバーの多くが楽しむゴルフは個人技であり、団体戦が不慣れなことから、一にも二にも合同練習で友愛を培かいたいと、庭野監督は述懐。
 主催者チームを出して名実共に大会を盛り上げている例は、他にあまり無く、この点を大いに自負している。又、80歳以上の出場者に特別表彰を行なっているが、今年は77名の多きを数えている。一日、秋の陽の下で、ゲームを楽しみ合い、談笑を通じて心が通じ合うことを、他に代え難い幸せ
と感謝している。                   (L庭野哲夫、L八島 勉)
国際児童年記念アクトのためのサーカス(1978.10.27)、ボリショイサーカスのチャリティー興行(1994.5.13)、豪雪のキャンペーン「白魔と闘う十日町」発行(1981.2.15)、大島彰「光と愛のチャリティーコンサート」(1982.10.19)各施設への献本(1979.2.11)、 5クラブ合同アクトの雪上レクリエーション大会(1993.2.11)、LCPR広報紙「こんにちは、十日町ライオンズクラブです」作成、新潟日報折込を含め、市民全体にPRをするアクト(1996.2.15)、などもあった。
▼市民書初大会 協賛中
十日町市書道協会(会長岡村松姻)では、’96(H8) 1月から毎年、クロスl0大ホールを会場に、同大会を開催しているが、参加者は年毎に増え、小学生から一般迄と層も厚く、今年は200名を数えた。当会きっての書家、L庭野哲夫が会長の時、’98.1月の第3回目より資金と労力のアクトを行っていて、大会関係者より毎回「来年も、是非に」と懇情を受ける迄に。このアクトは光っている。                       (L八島 勉)