新潟県中越地震報告

 去る2004年10月23日夕に発生した新潟県中越地震に際しては、近隣はもとより全国の方々からご支援やお見舞い、お祈りをいただき、心から感謝申し上げます。

 最大震度7(十日町市震度6強)を記録した今回の地震は、ご存知の通り震度5以上の余震が25回以上起こり、さらには1ヶ月後も余震が収まらないというのが特徴的でした。それはまさにボディブローのように人々の心と身体に深い傷を負わせ、立ち上がろうとする力さえ奪っていくようなものでした。

 子どもたちも例外ではありませんでした。余震のたびにおびえて泣く子、思い出したように突然泣く子、保育士にべったりくっついて離れない子、やたら甘えるようになった子、などなど。大人ですら物音に敏感に反応するようになったくらいですから、まして子どもたちの恐れや不安ははかり知れません。

 それでも、登園してきた子どもたちの多くは、そして今ではほとんどの子どもたちは、元気で明るい姿を見せてくれました。その姿に、みんなが励まされてきました。そして、地域の復興を祈り願いつつ、新しい歩みをはじめています。復興にはまだまだ時間がかかるかと思いますが、神さまと共に歩んでいきたいと思います。

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10月23日 地震発生時は保育終了後。園内は物が散乱するなどしたが、礼拝堂と園舎建物は壁に小さなヒビが入る程度でほぼ無傷。ただし、園舎周辺が5〜30cm陥没し、液状化現象で泥が吹き出した形跡があった。そのため、園庭には地割れ跡があり、足洗い場や倉庫階段は大きく傾き、また非常階段土台に多数のひび割れが生じた。さらに、液状化現象により駐車場少雪パイプの井戸が濁り、少雪パイプが故障した。園庭に面した十日町教会牧師館(園長宅)は、半壊により居住不能となった。

10月24日 連絡のついた職員たちが、園児の安否確認。避難場所がわからなかったり、電話が通じなかったりで、全員の無事を確認するまでは数日を要した。後日、全員の無事を確認。ただし、家屋に大きな痛手を負い、転居をやむなくされた家庭もあった。十日町市の健康福祉課より、1日も早く再開をとの要請あり。

10月25日 職員全員招集。園内の片づけと清掃を行い、翌日からの保育について緊急職員会議。水道が使えないため、姉妹園である山本愛泉保育園(吉楽敬子園長)の園舎で、共同特別保育をさせていただくことにした。山本愛泉保育園は、本園から約1キロのところにあり、園舎となりの神社境内内の清水を利用できた。

10月26日 山本愛泉保育園で特別保育開始。登園、3名。

10月27日 同じく山本愛泉保育園で特別保育。登園、5名。

10月28日 水道の復旧に伴い、本園での特別保育を開始。登園10名。なお、日本キリスト教団群馬地区の方々の協力を得て、給食食材を入手。おにぎりと豚汁などの給食を行う。以後、特別保育終了まで毎日完全給食を実施。

10月29日 登園15名。十日町市災害ボランティアセンターに保育ボランティアを依頼。避難生活で溜まったストレスを発散すべく、子どもたちは思いっきり遊んでもらう。以後11月6日まで、毎日3〜4名の保育ボランティアの方々が来てくださった。

10月30日 「えんだより11月号」を発行。避難している家庭にも、手分けをして配布。

11月1日 登園30名。園児が増えてきたので、特別保育のための職員態勢を見直す。

11月2日 ほとんどの園児が登園するようになった。

11月4日 特別保育のためのシフトをやめ、通常の勤務態勢に戻す。

11月5日 通常保育再開。給食も通常に戻したが、避難生活等で主食の準備が困難な家庭には、引き続き完全給食を実施(年少児以上は副食給食。未満児は完全給食)。

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 皆様から差し伸べられた温かいご支援に、私たちは神さまが私たちをこのように愛してくださるという、その姿を見ています。私たちは、この愛に応える者として、子どもたちのために、そしてこの地域のために、これからも豊かに用いられたいと願っています。ありがとうございました。

                     社会福祉法人おりいぶ会十日町幼児園
                              園長  新井 純
                              職員  一  同

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